JASRACの無謀な挑戦 -引用と濫用の果て-

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JASRACの話題が出る時はなぜか纏まって飛んでくることが多い気がします。
裏を返せば常に「仕事をしている」訳ですが、それが理解されない事に慣れ切っているのでは?という感じもします。

 

ヤマハ音楽振興会が教室での楽曲利用は著作権が及ばないとして東京地裁に確認を求める裁判を起こす方針を固めたというニュースに続き、京都大学の入学式で読まれた総長の式辞に含まれる歌詞の引用が大学ホームページに掲載された使用料を請求されたというニュースが流れました。

これに対して京都大学側は冷静に「根拠の詳細を知らされていないので対応はしていない」と回答をしています。

これは一体どういうことなのでしょうか?

2017.05.20 – 追記

本文中に引用される茨木のり子氏による「詩」とされている部分について、この「詩」を歌詞としている信託楽曲が存在することが確認されました。
J-WIDで検索すると茨木のり子氏の「詩」は多数歌詞として採用されていることが分かります。

茨木のり子氏は2006年に亡くなられており、権利者の没後50年間著作権が有効という保護期間の原則と照らした場合こちらは引用の範疇を超えると判断されてしまう可能性があります。
記事本文はボブ・ディラン氏の歌詞の引用についてまでをもって適切な引用と判断しましたが、それだけでは済まない可能性がでてきました。

2017.05.24 – 追記

一次情報源である京都新聞の「使用料の請求」の報道がそもそも誤りであった事がJASRACの会見により明らかになりました。
(そりゃこんな分の悪い言い分する訳がありませんよねw)
問題は無事に解決したようです。

歌詞の掲載は無料じゃない

JASRACの管理する楽曲の権利は歌詞にも及ぶため、一般に歌詞の掲載をするサイトはJASRACの許諾が必要となります。

歌詞タイムなど歌詞の検索が可能なサイトが歌詞を掲載できるのは掲載を行っている歌詞タイムがJASRACに使用料を支払って使用許諾とっているからです。

一時期話題になったTwitterで歌詞を書いた場合請求対象になるという話題がありましたが、論拠としては確かにおかしな話ではないのです。

これは法的な面と公平性という面から、そうなるのが本来の姿で有るためです。

本当にデタラメに徴収をしているのか

歌詞の話題になると大体引き合いに出されるのが一般に“オーケン事件”と呼ばれる案件です。

これは大槻ケンヂ氏が自らの楽曲について歌詞の引用などを行った際にJASRACから使用料を請求され、支払ったものの分配がなかったと言われるものです。

この件について未だに引用したり拡散を行っている人がいますが、2008年に本人から公式に否定される声明がでています。

こと、JASRACの話題となると冷静さを欠いた論調になる方も多く、確認された事実すら見過ごしている場合があります。
周囲の過熱感に煽られて同調するのはあまり感心しません。

デタラメな徴収の実態としてもう一つ大きな事例とされるのは雅楽に対する徴収の問題です。

先に取り上げたMIDI狩りの際にも紹介をしていますが、信用の面で大きな失策の一つだと考えます。

この件についての顛末はまとめられていますが、JASRACとしては管理楽曲の使用実態を把握することが通常の業務であるため確認の問い合わせであったと謝罪および発表を行っています。

全くの誤解も勇み足ともとれるような事例も入り乱れることで事態を混迷させている感はありますね。

だからこそ適正な運営と周知の努力はしていただきたいと思うのですが、利用者とJASRACの意識の隔たりは既に大きすぎるのかもしれません。

歌詞の引用とは何か?

著作権法第三節第五款、著作権の制限の中に著作物の引用についての条項があります。

(引用)
第三十二条  公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。
2  国若しくは地方公共団体の機関、独立行政法人又は地方独立行政法人が一般に周知させることを目的として作成し、その著作の名義の下に公表する広報資料、調査統計資料、報告書その他これらに類する著作物は、説明の材料として新聞紙、雑誌その他の刊行物に転載することができる。ただし、これを禁止する旨の表示がある場合は、この限りでない。

著作権法 第三節第五款

これは公表された著作物を引用使用する事が出来るとした条項です。

これに基づいて考えるのであれば、京都大学の入学式式辞は本文に対してボブ・ディランの歌詞を一部引用していると読み取れるので適正な引用ではないかと考える事ができます。
(個人の見解であって本当に裁判になった場合の結果とは異なる可能性があります。)

しかし問題はその根拠となる三十二条の内容が”公正な慣行に合致するもの~目的上正当な範囲内”という非常に曖昧な表現にとどまっていることです。

2017.05.20 – 追記

前述の追記の通り、後半に引用された「六月」の詩については裁判官の判断が分かれそうな所です。
主体が本文であることに疑いはないのですが、「全文の引用が妥当であるか」と問われれば検討は慎重にならざるを得ない所です。

何をもって公正な慣行とするのか、何をもって正当な範囲というのかという明確な基準はなく、明確に線を引くのであれば司法の判断を仰ぐしかないという事になります。

歌詞の引用問題と戦った人がいた

実はこの事例よりも前に同じようなケースで削除を求められ、しっかりした回答をもって対応した人がいます。

フジファブリックのファンサイトでライブレポなどを行っている方です。
この方の場合きちんと著作権法第三十二条の要件を学んだ上でブログ上への引用を行っていました。

事前にしっかりと考慮されて運営されていたため、自らのブログの文字数と引用の割合等を根拠に主体はブログの記事であり歌詞は従であるといった反論を提示することが出来たようです。

その後についてのレポがないので特に追及はないのだと思いますが、引用という要件を満たすものとはなにか?という具体的な指針がないのは利用者にも権利者にも歓迎できない状況ではないかと考えます。

本気で徴収する気だったのだろうか?

今回の問題については裁判になってもJASRACの勝ち目は低く、単純に引用として認められておしまいだと考えています。

JASRACは知財の専門家を擁す集団ですので見当違いな事はあまりしない(?)と思うのですが、これについては明らかに筋の悪い主張ではないかと考えます。

こういった形でニュースになることで引用の要件を満たさない場合は徴収対象なんだぞという警告を発する意図があったのであれば方法としては悪手でしょうし、正直「何でこんな事したの?」という疑問はあります。

JASRACの中にもたくさんの職員がいるので、それぞれの判断基準や行動指針などについての統一が取れていない部分があるのでしょうか?

聖域なき徴収へ向けて徴収範囲を拡大することも結構ですがそれが適正な徴収であるかも常に顧みていかなければ濫用となって、いずれ権利者にとっても大きな害をなすことになってしまうかもしれません。

話題性に欠かないという意味では大人気ともいえるJASRAC。

「我々は嫌われているから」と職員が自嘲することもあると聞きますが、自嘲なんかしてないで適正な業務であることへの理解を求める必要はあると思いますよ。

利用者側にも理解が求められている

音楽や歌詞にとどまらず、様々な知財の戦略的な活用・保護などを推進する検討会は取り組みを進めています。

ネットワーク時代における権利の保護や活用について協議・検討され、関係省庁やCRICのような関連団体との連携も行われています。

こういった取り組みによって知財の利用状況の把握が促進されれば著作権等の知財保護はより適正で厳格に行われていくことなります。

これは音楽だけでなく、映像コンテンツなどすべての分野に通じる話です。

利用者たる個人においても正しい理解が求められている時代であることは心にとめておかねばならないのだと思います。

2020年の東京オリンピックまでには知的財産戦略本部も一歩進んだ施策を打ち出してくると考えられます。
関係省庁や法整備なども含め著作権をめぐる環境もアップデートされていく段階です。

本当に良好な権利者と利用者の関係、著作物の適正な利用促進の為に必要な事は何か?

それは誰もが権利者にも利用者にもなる時代を生きる人が考えるべき宿題なのかもしれませんね。

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みるくここあ
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ウィンドシンセを片手に曲を作っています、演奏するのも聴くのも好き。 ゲームとITと変な情報を拾ってくるのが得意。 色々とやっているらしいけど詳細はヒミツ。 オリジナル曲を公開しています。 http://www.nicovideo.jp/mylist/31704203 作曲風景の生放送もしています。 https://milkcocoa.org/rainbow-sound-cafe-live/ 音楽やDTMに纏わる話題を色々と書きます。

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